山脇はあんなこと言ったけど……
美鶴は寝返りを打った。
隣の部屋から聞こえる声は潜められているので、よくは聞き取れない。それがかえって耳障りでもある。
正直、また襲われるのではないかという不安は、美鶴にもある。
覚せい剤というものには全く無縁であったが故に、こうも周囲でチラつかれると気味が悪い。
だから、駅舎の中で見つけたキーホルダーと、美鶴のスカートを汚していった男と、自殺した女子生徒。どうしてもこれらに繋がりを感じてしまう。
だが美鶴は、山脇の推理を素直に受け入れることもできない。それは、彼の推理に疑問点があるというワケではない。
ただ…… もっと別の理由の方が、もっと現実的だと思うのだ。
………
山脇には「心当たりなどない」と言ったが、正直それは嘘だ。
心当たりがないワケではない………
身を捩って、うつ伏せる。
もしも覚せい剤を使用したり所持しているのが学校に知れたら、即退学だ。美鶴の退学を一番望んでいるのは浜島だ。
浜島が美鶴を追い出そうとしているのかもしれない。
キーホルダーは、浜島がワザと落としていったのかもしれない。そうして美鶴に拾わせ、難癖をつけて退学にしようとしているのかもしれない。浜島は、今日も美鶴の監視にやってきた。
だが―――
美鶴は想像してみた。
もし言いがかりをつけるのなら、外から覗いただけで帰ってしまうだろうか?
もし本当に美鶴を陥れるつもりなら、駅舎の中まで入ってくるだろう。そうして美鶴に声をかけながら、自分があらかじめ落としておいたキーホルダーの確認をする。
床になければ美鶴が拾ったと判断して、理由をつけて持ち物検査でもすればいい。キーホルダーが見つかれば、美鶴は覚せい剤を所持していたことになる。
もしもまだ床に落ちていたのなら、これは何だ? と自分で拾ってみせる。そうして中から覚せい剤を見つける。美鶴が自分の物ではないといくら主張したところで、聞き入れてはもらえないだろう。美鶴が持っていたのを見たことがあるなどと証言して、美鶴の持ち物にされてしまうに違いない。
だが浜島は、外から覗いただけで、中には入って来なかった。もし美鶴がキーホルダーを拾い、覚せい剤を見つけて警察にでも持って行ったとしたら………
美鶴に罪を着せることはできない。
山脇が言うように、警察であれこれ聞かれて面倒なことにはなるかもしれないが、美鶴を覚せい剤の使用者や所持者にしたてることは難しいだろう。山脇は疑われることを警戒したが、いくら疑うことが仕事だとは言っても、その場で所持者だと断定するほど、日本の警察も落ちぶれてはいないだろう。そう思いたい。
冷静になって考えてみると、やはり警察へ届けるべきであったかもと、少し後悔もする。
駅舎の中にまで入ってこなかった浜島は、関係ないということだろうか?
―――っ!
「あっ」
思わず声をあげ、慌てて口を抑えた。耳を澄ましてみる。襖の向こうが気づいた様子はない。
―――数学の門浦。彼は中まで入ってきた。しかも、美鶴がキーホルダーを拾った直後だ。
だいたい名前も書かれていない答案用紙を持ってきて美鶴にカンニングの疑いをかけるなんておかしい。
目を閉じ、想像してみる。
二人のうちどちらかが、あらがじめキーホルダーを落としておく。美鶴が駅舎にやってくるのを待つ。中に美鶴が居るのを浜島が確認して、門浦に連絡する。門浦はそ知らぬ顔で入ってくる。そうしてカンニングの言いがかりをつけ美鶴の気を答案用紙にひきつけ、その間にキーホルダーの確認をする。
しかし、それは少し危険な作戦であるようにも思えた。
もし美鶴が拾う前に誰かが拾ってしまったら……
いや、その可能性は少ない。なぜなら、あの駅舎の戸の鍵を開けるのは美鶴だからだ。美鶴が来なければ誰もあの駅舎には入れない。
だがそうすると、浜島や門浦が事前にキーホルダーを落としておくということも不可能だ。鍵をこじ開けられた形跡はなかったと思う。浜島はどうかわからないが、あの鈍臭い門浦に巧妙なピッキングなんて真似はまず無理だろう。
瞼の裏に、美形の青年が浮かび上がった。
あの駅舎の持ち主。正確には持ち主の孫であり、美鶴に駅舎の管理を任せた人物。
彼もしくは彼の使用人なら、鍵を開けることができる。美鶴が持つのはスペアキーであり、もともとの鍵は向こうにある。
彼が落としたのだろうか?
そもそもキーホルダーを見たとき、持ち主として真っ先に思い浮かんだのが彼だ。
だが、なぜ? ワザとなのか?
使用人がいるということは、やっぱりそれなりの金持ちなのだろう。名前も霞流という珍しい苗字で、由緒正しい家柄なのかもしれない。そうであれば、美鶴の通う名門私立高校の卒業生という可能性もある。
ならば、古株の浜島と知り合いである可能性は高い。
そもそも、駅舎の管理を任された時点で、すでに罠に嵌りつつあったのかも。駅舎にはもう近づかない方が良いのだろうか?
だが、それは美鶴の思い過ごしなのかもしれない。もし全く関係なかったのだとしたら、勝手に約束を放棄して良いワケはない。
それなら、明日にでも霞流を尋ねて、鍵を返すべきか?
だが、あの場所を手放すのは惜しい……
イライラと寝返りを打つ。
わからない
だが美鶴には、どうしても浜島が絡んでいるような気がしてならないのだ。
彼ならやりかねない。
それに浜島という人物は、たとえば殺人の計画を立てても、直接自分で手を下すようなタイプではない。卑怯なヤツだ。
美鶴はそう思う。
だから門浦を使った。
門浦は小心者だ。浜島のあの眼力の前ではなす術もないだろう。協力しなければクビにするとでも言えば、簡単に協力させることはできる。
門浦の態度はあやしい。だが、門浦が自らの意思で美鶴を陥れようとしているようには思えない。そんな勇気は門浦にはない。
あるとすれば、それは浜島だ。
卑怯なヤツ―――
脳裏に、かつての友人の顔が浮かんだ。複数の嘲笑も響いてくる。
世の中なんて、こんなヤツらばっかり。
………だが結局、門浦はキーホルダーの事を口にはしなかった。
山脇が現れたから?
再び寝返る。
関係ない。むしろ証人が増えたのだ。好都合だろう。
それに、美鶴を襲った男。
あの男は何なのだ?
また、寝返る。
頭が混乱する。
そもそも、あのキーホルダーの中身は、本当に覚せい剤なのだろうか?
うつ伏せる。
だがなんとなく、なんとなくこのままでは浜島にハメられてしまいそうな気がする。やはり警察へ行った方が良かったのだろうか?
暗闇の中で、カサカサと囁き声が響く。時折押し殺したような笑い声。菓子袋のガサつく音。
美鶴は大きくため息をつくと両足を抱え込み、額を両膝にくっつけて、強く瞳を閉じた。
「美鶴! いい加減に起きなさい!」
母の怒鳴り声で目が覚めた。目覚まし時計を見ると、六時四十五分。もちろん朝のだ。いつの間に寝てしまったのだろうか?
ガバリと布団を跳ね除ける。腰に手を当てた母と目が合った。いつも深夜か早朝に帰宅する母は、朝は寝ていることが多い。母が起こしてくれるなんて珍しいというより、初めてかも。
だが、母の言葉を聞いて納得する。
「聡くんも瑠駆真くんも朝ごはん食べてるよ。あんたも早く食べなさい」
結局、あの二人は一晩居座ったワケだ。二人の手前、寝てもいられないというコトか?
三人で隣の部屋に寝たのか、それとも徹夜したのか? バッチリ化粧で固めた母の顔からは判断できない。
ボンヤリとする頭を押さえ、母に続いて自室を出ると、振り返る二人と目が合った。
「おは…」
口を開きかけた山脇はすぐに視線をそらし、聡は目を見開いて口笛を吹く。
「美鶴って、Tシャツで寝るんだ」
―――無意識に襖を閉めていた。
あまりに勢いよく閉めたので、反動で少し開いてしまうのを慌てて閉めなおす。そうして、そのまましばらく襖とにらめっこ。
冬なら上下ともジャージで寝るのだが、最近は暖かくなってきたので、長袖のTシャツに替えたばかりだ。色は白。下着なんて付けてるワケがない。
山脇の頬が微かに赤らんでいたのを思い出し、美鶴は片手で胸元を抑える。
もう二人とは顔を合わせたくない。
|